昭和を代表する元総理大臣の中曽根康弘氏が東京都内の病院で101歳で死去しました。
中曽根康弘元総理大臣は就任してすぐに外交面に力を入れ、韓国を訪問して、そのまますぐにアメリカを訪問してレーガン元大統領と強い信頼関係を築くなどの功績を残しています。それから2年後に旧ソビエト連邦を訪問してゴルバチョフ元大統領とも会談を成功させています。
中曽根康弘元総理大臣が愛した昭和時代はどのような時代だったのかを振り返ってお伝えします。
元総理大臣中曽根康弘氏が就任中の昭和時代ってどんな時代だったか
中曽根康弘氏が総理大臣就任中はどんな時代だったか振り返ります。
就任期間: 昭和57年11月27日〜昭和62年11月6日
就任期間は約5年
就任時年齢: 64歳〜68歳
元総理大臣中曽根康弘氏は昭和57年11月に第71代目の内閣総理大臣として就任しました。
昭和57年を振り返えってみましょう!
1982年昭和57年は初めて500円硬化が発売された年です。
それまでは500円はお札でした・・・
芸能界では中森明菜が歌手として「プロモーション」、松田聖子、近藤真彦、がアイドルとしての全盛期、薬師丸ひろこが「セーラー服と機関銃」の映画、などが流行しました。
社会での事件では、「ホテルニュージャパン」で火災が発生して死者33人を出し、日航福岡発羽田行きの飛行機が羽田空港着陸寸前で海に墜落して24人死亡、150人負傷の大事故が発生しました。
北海道日高地方で大地震が発生して重軽傷者147名を出しています。
不幸が続きますね・・・
東北新幹線が開業、大宮と盛岡を3時間17分で結び、上越新幹線も開業、大宮と新潟を1時間55分で結びました。
学校が荒れた時代でもあり、卒業式に警官が出動するなど父兄や先生に緊張感が漂っていました。
携帯電話が普及している現在には考えられないですが、テレフォンカードと言って公衆電話に入れて通話ができるプリペイドカードが発売されたのも昭和57年です。
それまでは10円玉を沢山用意して電話をかけていて、10円玉が無くなったら途中で通話が切れてしまう事もしばしばでした・・・
今は何処からでも電話がかけられるので本当に便利ですよね〜!!
元総理大臣中曽根康弘氏が総理大臣に就任した昭和57年は大きな事故や災害が起きてますね。
では、元総理大臣中曽根康弘氏が就任していた約5年間はどんなことが振り返ってみましょう!
昭和58年
東京ディズニーランドが開園、NHK朝の連続ドラマ「おしん」高視聴率獲得、ファミリーコンピュータ(ファミコン)発売、大韓航空機爆破事件で乗客乗員269人全員死亡。
昭和59年
ロサンゼルスオリンピック開催で体操、森末慎二さんが金メダル獲得、1万円札が福沢諭吉のデザインに変更。
昭和60年
日航機墜落事故(日航123便)で乗客乗員520名が死亡。4人の生存者がいたことは大きなニュースとなりました。
女優の夏目雅子さんが急性骨髄性白血病で27歳の若さで死去。
任天堂より「スーパーマリオブラザーズ」が発売され大ヒットに。
NTTが携帯電話のショルダーフォンを発売しました。
昭和61年
慶應大学医学チームが人工授精で女児産み分けを6例成功を発表。ビートたけしら12人がフライデー編集部に抗議して傷害罪で逮捕される。
昭和62年
朝日新聞阪神支局襲撃事件で記者2名が死亡。国鉄が民営化されJRに。
アサヒスーパードライが発売される。
元総理大臣中曽根康弘氏が就任中、どんなことが起きていたのかをご紹介しました。
就任後、前半はホテル火災や飛行機事故などで尊い命が奪われ悲しいですね。
ゲーム機が家庭に普及し始めたのも今の携帯電話の原型ができたのも、中曽根康弘氏が総理大臣就任中のことでした。
今の基盤を作った時代であったとも言えますね。
時代が大きく変わろうとしている気配を感じます!
中曽根康弘元首相が死去 #nhk_news https://t.co/leSFumtB2t
— NHKニュース (@nhk_news) November 29, 2019
NHKニュースでも話題になっています!
元総理大臣中曽根康弘氏就任中の政治
中曽根康弘氏は就任後、前任であった鈴木善行氏の間で関係が悪化していた韓国とアメリカの外交に出かけて関係改善に力を入れ、日米関係を修復させました。
この時のアメリカの大統領、レーガン大統領とは「ロン・ヤス」と呼び合う仲になりその友情は強いものだったということです。
1983年のウィリアムサミットでは180cmある身長が、レーガン大統領と並んでも全く違和感がなく、写真撮影時は見事にセンターを獲得しています。
同11月には東京西多摩郡にある中曽根康弘氏の山荘でお茶をたてて夫婦4ショットで楽しく過ごされ信頼関係は益々強くなっていきました。
行政では、国鉄の分割民営化、電電公社を民間のNTTに、専売公社をJTに改革しました。改革にあたって、相当の労力や苦労があったに違いありません。
中曽根康弘氏は、田中角栄氏と福田赳夫氏との派閥争いで立場を変えたことから「政界の風見鶏」などと非難されました。
そして、1985年靖国神社を公式参拝して自らの思いをを貫き通しましたがそれと同時に社会の論争を巻き起こしました。
しかし、中曽根康弘氏の功績は小学校の教科書に載るほどの改革を残し、日本の歴史を大きく変えて、計り知れないほど数々の事を良くしてきたことは間違いありません。
まとめ
元総理大臣死去!「中曽根康弘氏」が就任中の昭和時代を振り返るについてお伝えしました。
101歳で死去された元内閣総理大臣中曽根康弘氏が、総理大臣就任中に改革してきたことは今の日本を平和にしました。
中曽根康弘氏が総理大臣就任中に起きた日本の情勢をこうやって振り返ってみると、実に大きな事件や事故が起きていたかが分かりますね。
時代が大きく変わろうとしている昭和57年から昭和62年を立派に務めあげた中曽根康弘氏の功績を称えると共にご冥福をお祈り致します。