稲葉香菜子さんが2019年10月13日死去しました。38歳でした。元バレーボール日本代表として活躍していた稲葉香菜子さんが愛したバレーボールとはどんなボールだったのでしょうか。ボールと人生について詳しくお伝えします。
稲葉香菜子さんが愛したバレーボール1
ミカサ
https://twitter.com/mikasaindustry/status/1184070627541389313
国際試合やワールドカップではFIVB国際バレーボール連盟(FIVB)Fédération Internationale de Volleyball とMIKASAが契約しているボールが使われています。
MIKASAは2019年4月に新デザインを発表しました。パネル構造を10枚から18枚に変更になり、さらに、安定的な飛行を、汗で滑りにくい構造となりました。
https://twitter.com/mikasaindustry/status/907565873061179392
稲葉香菜子さんが愛したボールがミカサになった理由
国際試合で使用するボールはFIVB(Fédération Internationale de Volleyball )の公認とJVAの検定に合格していなければなりません。
ミカサは1日の製造量が1000個以上生産する実績があるので、その中でもより優れた製品を選び公式球に選ばれた。そしてFIVB主催の公式試合に4年ボールを提供してアピールします。世界の競合と並びFIVBの認定を取るために努力します。
1969ミカサはFIVBの公認を獲得して国際試合に使われるようにな離ます。それ以降国際試合であるオリンピックの試合に使われるようになり、一気に知名度が上がります。
1975年にカラーのボールが認可され、カラーの3色となり目立つようになりました。
稲葉香菜子さんが日本代表選手として出場した2002年、イタリアが優勝した世界女子選手権で、稲葉香菜子さんが愛したミカサのバレーボールが使われていました。
稲葉香菜子さんが愛したその他のバレーボール
モルテン
引用:https://www.molten.co.jp/sports/jp/
国際試合をはじめ、国内試合でモンテンのバレーボールが使われています。稲葉香菜子さんが現役選手で活躍していた時に使用していたバレーボールです。
表面は牛革で環状突起が空気の流れを良くして飛行を安定させてサーブ時の落下のばらつきを軽減しています。
稲葉香菜子さんの人生
1980年11月4日山梨県甲府市で生まれます。父親がスポーツ少年団の監督をしていた影響があり小1からバレーボールを習い始めます。
1998年のアジアジュニア選手権で3位になります。
1999年イトーヨーカドーに入社して2001年に武富士バンブーに移籍。同年の2001年に世界女子選手権に日本代表として出場して、銅メダルを獲得します。
2009年にNECに移籍。2010年にレッドロケッツの主将として活躍します。
2012年からはバレーボールの解説者やバレーボール教室の講師として活躍していましたが、2019年10月13日、病気療養中のところ38歳で死去しました。
(まとめ)
稲葉香菜子さんのバレーボール選手時代に愛したボールと人生についてお伝えしました。バレーボールは時代とともに、視覚的にも飛行的にも改良されて選手に愛されてきました。稲葉香菜子さんのバレーボール人生の中で最も長く手に触れてきたボールからは稲葉香菜子さんの活躍が滲みでている事でしょう。心よりお悔やみ申し上げます。